自己愛性人格障害との離婚の記録

調停、裁判、2年かけて自己愛性人格障害の夫との離婚までの道のりを綴ります

第4回調停 H28.8.23

Y弁護士より報告書が届く。今回はわたしも同席した。 (一部抜粋して記載致します)

①貴殿と今村浩司氏との間の夫婦関係調整申立事件に関し、以下のとおり報告致します。

②離婚や親権者を優子さんにすることを前提に、慰謝料や財産分与、養育費についてどのように考えていくかについて、協議がもたれました。 お子さんの環境を変化させないという観点、浩司氏自身にはマンション以外に見るべき資産がないということ、などを総合考慮して ⑴慰謝料や財産分与として、マンションの浩司氏持分2分の1全てを譲り受ける ⑵住宅ローン自体は浩司氏の負担とする ⑶養育費は、婚姻費用と違って妻部分の支払いがなくなるものの、お子さんの高校進学などを考慮して月4万円とする ⑷平成35年3月末(次女高校卒業時点)までは、優子さんとお子さん2人で無償で現在のマンションに住むことができるものとし、それ以前に差押えや競売になって住めなくなったら、浩司氏にペナルティを支払ってもらう といった内容を骨子として、次回期日までに、解決案を書面で提示することになりました。 なお、別居時点である平成28年2月14日の住宅ローン残高については、双方にて資料を探したり、とりつけたりすることになっているほか、固定資産税等20万の滞納額げあるので、それも考慮の上で検討することとなります。 次回期日までに、浩司氏からは、当方からの慰謝料請求額550万円に対して、支払いを認める額の回答がなされる見込みとなっています。

③今後の方向性ですが、以下のとおりです。 ⑴離婚調停→前記骨子に沿って解決案骨子を当職にて検討します。次回打合せは、平成28年9月8日○時からですが、権利証や住宅ローンに関係すると思われる資料一式をご持参ください。 ⑵山本氏との起訴事件→次回期日が平成28年8月25日○時、和解による可決を考慮しながら今後起訴を進行させることになります。

④次回期日ですが、以下のとおりです。 ⑴夫婦関係調整調停申立事件 平成28年9月27日○時→当日出頭の調整をお願い致します。 ⑵損害賠償請求事件 平成28年8月25日○時→山本氏も出廷しませんし出廷される必要はありません。

初めて家庭裁判所に行った。Y先生に言われるがままについて行き、大半を待合室前の椅子で過ごした。 想像とは全く違った。小さな会議室のようなところに調停員男女1名ずつがいた。 夫側と交互に呼ばれる。夫と顔を合わせないように配慮されていた。 帰り際、Y先生から「階段で降りましょう、きっとエレベーターで鉢合わせします」と言われ、階段で降りたが…一階に着いた時開いたエレベーターから降りてくる夫と夫弁護士と鉢合わせてしまった。 Y先生がさっと身体を挟みわたしをかばった。そして、一旦Y先生の事務所(裁判所から徒歩10分)まで歩いて一緒に行くことにした。

普段は冷静沈着なY先生だが意外と男らしい。ひょろっとしているが身長も178くらいあると思う。歩く際も必ず車道側に立つ。

「不貞はもちろんなんですけど、お金のやり取りやお子さんへの手紙読んでて完全にモラハラですからね。思考回路がおかしいから。僕も優子さんのお子さんと同じ年の子がおりましてね、不貞はもちろんなんですけど、経済的モラハラの方が辛いだろうなぁと。甲斐性もなく好き放題して金がないって繰り返して…当事者の優子さんはたまりませんよね、僕は今、優子さんのご両親が財力がありよかったと本当に思います。ご両親には申し訳ないですけど…優子さんに援助できるご両親がいたから生活出来てますからね。お互い実家の財力知ってるのは良し悪しですね。少しでも早く終わらせましょうね」

先生、夫の実家はうちの実家の100倍はお金持ちですよ。○○に200坪の別荘はあるし、○○には温泉付きのリゾートマンションがあるほど。だから、簡単に弁護士も入れた。きっと離婚成立すればお金がないはずの夫は、借金も全部返済してもらって、お金がある夫に変身しますよ。

"いつか機会があれば調停員にもお話しましょう。調停員の中では、裕福な家庭に育った優子さんと貧しい家庭に育った浩司氏と言うストーリーが出来てますからね" そんな話をしながら、先生の事務所前で別れた。

わたしは黒いパンツスーツで出廷した。 普段はスーツではないがスーツを着て午前中仕事に行き調停に向かった。が、久しぶりに見た夫はデニムパンツにTシャツにスニーカーにリュックだった。 こんな時くらい…と呆れたが、夫は友人の葬儀にすら喪服を着ない。香典すら不要だと言う。"若いから"と。 結婚し子供がいて若いからは通用しない。40過ぎて"若いから"は通用しない。無理矢理喪服を着せ香典を持たせたことを思い出した。とにかくケチだ。そして、自分は特別だと何でも許される…それが彼の思考だった。