自己愛性人格障害との離婚の記録

調停、裁判、2年かけて自己愛性人格障害の夫との離婚までの道のりを綴ります

義父の妹からの連絡

毎年夏休みには夫の実家に3週間奉公に行っていた(夫ぬきの夫の実家への奉公である)。ここ数年は子供達だけ先に行かせるなど期間を短くして済ませていた。それには理由があった。

3週間の奉公から帰るといつも決まって"お疲れ"と言われる。夫の代わりに夫の両親を喜ばせようと3週間も奉公に行くのにありがとうすらない。1週間でと言うと"短い短過ぎる。何もできない。夏休みはずっとうちにいたらいい"と義母は言う。わたし達に夏休みの自由はない。夫は自分の実家に行く事をわたしも子供達も大喜びだと、わたしは家事や育児から解放されると明らかに勘違いをしていた。その事が腹立たしく、夫に意見をし、子供達だけを先に行かせる事にしわたしの滞在を短くしたりもした。

可愛がって頂いていた。美味しいものを食べさせて頂いたり、別荘で過ごしたり、楽しい事も沢山あったし、その分家事はさせて頂いていた。洗濯も掃除も食事の支度も、後片付けも自宅にいる時より(笑)。 義母にいびられもしたが、右から左に受け流し、時々毒を吐きながらの毎年の3週間。

が、今年は行かない。ただ心配な事があった。 義父には妹がおり、妹夫婦と夫の祖母は同居をしていた。義父の妹はとても素敵な叔母様で祖母も同様だった。わたしはこのお二人が大好きだった。

お盆にお伺いする事になるので、いつも祖父のご仏壇にお供えをする。子供達もお邪魔すると一番にご仏壇にご挨拶をする。わたしにとっては当たり前の事だった。が、わたしは義母がご仏壇に手を合わせる姿を見たことがない。 そんな事があってか、祖母はわたしを子供達をとても褒めてくれていた。 叔母もいつも温かく迎えてくださる。叔母の好きなコーヒーをお土産にすれば、"美味しいコーヒーをいつでも飲みにいらっしゃい、3週間もお嫁さんは疲れるでしょう"と冗談交じりにもてなしてくださっていた。

お盆に眞子と利子の名前でお供えを送らせて頂いていた。高齢の祖母には今回の件は話されてないかもしれないと思い、叔母様宛にわたしから今までのお礼と、祖母へ眞子から手紙を添えた。

叔母様からお礼の電話がきた。

叔母"浩司は何したの?"

ご存知ないですか?

叔母"全く!最近兄夫婦も来なくなったし、夏休みにちびちゃん達がこないからどうしたのかとおばあちゃんとも話してたのよ"

わたしからお話すべきではないですがと前置きし起こっている事を話した。

叔母"優子さん大変だったのね。ごめんなさいね。本来なら兄夫婦が貴方のご実家にお詫びに行くべきなのに…そんな常識持ち合わせてないから…私が行って浩司ぶっ叩いてご両親の前で土下座させたいくらいだけど、それしちゃうと貴方私の手前離婚出来なくなる。離婚なさい。それがいい"

わたしは泣きながら話を聞いていた。

叔母"こちらにきたらうちにはいつでも寄ってね。実は兄も昔浮気をした事があるの。その時におばあちゃんが間に入ってKさん(義母)を守ったの。狂ったように叫びまくって大変だったの。どうして母がしてくれたように出来ないんだろ。嫁や孫を守る事を母は見せたはずだけどね"

義母には帰る実家がなかった。義父に浮気されても"妻の座"を守らなければならなかったのだ。祖母が全面的に義母を擁護し守り愛人から取り返したそう。

叔母"だからね、貴方に愛人に勝ったの!なんておかしな言葉がでたのよ。その時を思い出し本心だったと思うわよ。貴方は立派にお嫁さんをしてきた。大事にされていいの。貴方は浩司には勿体ないお嫁さん。離婚なさい。貴方はあの非常識な家族と浩司と早く縁を切りなさい"

1時間くらいずっと温かい言葉をかけて頂いた。

叔母様と話した事を母に話した。

"叔母様が優子を大事にしてくださっていた事がわかっただけでもよかった"

母はそう言って泣いていた。

夫側の人間から初めて謝罪の言葉を頂いた。 せっかくご縁を頂き、わたしなりに大事にしてきた義父側のご家族。唯一の夫側の親族。 とっても温かな叔母様ご一家。

実は義母には姉が2人いる。存在しかしらない。結婚式にすら呼ばない。 義母は自身の姉と縁を切ったらしい。 血の繋がったお姉様と縁を切ると言う事を平然と話す姿にとても驚いたが、今ならわかる。 自分以外の人間に気持ちがないのだと。