自己愛性人格障害との離婚の記録

調停、裁判、2年かけて自己愛性人格障害の夫との離婚までの道のりを綴ります

自己愛性パーソナリティ障害のタゲにならないために

2015年11月2日

お店を閉めないかと再度夫に提案をしてみた。

働き口は沢山オファーがあると冗舌に語りだした。お店は閉めると言う事になった。

 

2015年11月中旬

中でも自分の人脈や経営ノウハウを最も欲しがっているところに就職すると言い出した。

正直なところ、勝手に借りてきた500万の返済もあり、娘は私立にやっている状態で、仕事を選んでいる場合ではない事すら理解出来ていない。

家族を養うために稼ぐ事が大事だと寝る間を惜しんで働くべきだとそんな考えは皆無。

出資してくださった両親にすらお店を閉める報告すらしない、するなと言う。

就職先の年下の社長は一代で素晴らしい業績を残し会社を大きくしているところだった。

夫は知らなかったが、社長はわたしの知り合いの知り合いと言う事もあり"やり手"だと言う事は存じていたが、夫の社長への評価は全く違った。

 

"社長がボンボンで馬鹿なんだよ。親がさ医者で金持ちだからさやっていけてるんだよ。だからさ、経営コンサルタント的な役割もしなきゃいけないんだよ。ポスレジすら入れてなくてさ、俺が教えなきゃいけないんだよ"

 

親の投資で出せたお店すら潰してしまう男の言葉を右から左に聞き流し、時々"すごいね〜大変ね〜"と思ってもいない言葉を返して全て録音する。

ポスレジなんか貴方が教えなくても業者が来てやる事だから、貴方がしてやったしてやったと言ってるのは"ポスレジ導入の提案だけだろ"と思いつつ。

 

更には社長がそんなだから、入社まで毎晩ミーティングや手伝いがあるから帰宅が遅くなると冗舌に語っていた。泳がされているのに気付かずスイスイと泳ぐ間抜けな夫。

 

次女の誕生日。少しでも帰って来れないかと何度も連絡し、帰宅五分で愛人宅に向かう夫。

 

この頃から"貴方の中で大事なものの優先順位を明確にし行動しなければ大変な事になる"と事あるごとにメールを送っていたが、夫にはその意味が全く理解出来ていなかった。

 

自己愛性パーソナリティ障害の本は山程読んでいた。離れる事もできたが、わたしはせめて子供が成人するまで家族ごっこをするつもりであったため、タゲ(ターゲット)にならない術を身に付けていた。

自分を褒め称えるために他人をこき下ろす。

夫は常にそうやって人をこき下ろし自分をあげる。

 

夫の話を聞く時わたしは心を空にし聞かない。

が、聞いてる風に褒める。それ以外何も言わない。夫を応援し尊敬するよき妻風でいる。

 

すぐに離婚が出来ない場合は、これに徹することです。そうすればタゲにはならないから。