自己愛性人格障害との離婚の記録

調停、裁判、2年かけて自己愛性人格障害の夫との離婚までの道のりを綴ります

正妻と愛人を会わせてはいけない!

2016.1.17

 

お店を畳む日、何度も何度もわたしの居場所を確認する連絡がくる。

 

要するに女と鉢合わせされては困る…訳ね。

 

わたしはそんな事構いもしない。

朝から菓子折りを多数準備してお世話になった地域の方々、近隣の店舗の方々にご挨拶はわたしのペースで伺う。

夫のお店になんてどうでもよかった。

少なからず、長年お世話になった皆様にきちんとご挨拶すら出来ない不出来な夫の代わりにお世話になった挨拶をする、またいつか夫がこの街で再起をする事があったらその時はまた温かく見守ってくださいと…それがわたしの妻として最後の仕事だと思って動いた。

 

沢山の言葉を頂いた。勿論社交辞令で夫を労う言葉も沢山頂いたが、有り難いことに本来夫がすべきことを代行するわたしの姿を褒めてくださる方々ばかりで、ただただわたしが不出来であるが故、きちんと伴走できずこの様な結末になったとお伝えするも「奥様のこの気持ちが届いていないのが残念」だと労って頂いた。今の置かれてる状況(1人で俺は凄いと勘違いし裸の王様の如く愛人の存在すらバレていないと思っている)すら理解出来ない夫の情けなさをわたしが傷付かない程度にお声掛けくださり、この恵まれた環境で"人の気持ち"を大事に出来なかった夫を残念に思った。

 

後から分かった話ではあるが、夫の愛人は自ら夫の愛人と名乗る様な女だった。

 

子供が生まれ、娘達のママ、夫の妻と呼ばれることばかりになり、それが居心地よくも寂しかったわたしは常に自らを夫の妻と自己紹介することすらなかったので、わたしを知る夫の知人は皆愛人の行為をよく思ってはおらず、夫以外の誰もがわたしが夫に愛人がいる事を承知である上で子供を守ることに徹しておることを理解し、夫にせめて目に余る事を慎むべきだと話をしてくださっていた事を後に知るのだが、20年以上もわたしという人間を見てきて、他人様が理解してくださっているのに何一つ理解出来ておらず、家族や友人、地域の人の支えの元に築いてきた自分の城の最後の日ですら、ただ愛人と正妻を鉢合わせさせてはいけないと目先の事を取り繕うことに必死な間抜けな夫だった。

 

夫の城は呆気なく崩れ落ちた。

 

後は債務の確認だけである。夫にわからないように電力会社や水道局に未払いがないか確認をする(保証人である実父に迷惑をかけたくないから)

 

プロバイダーからの請求書が転送で自宅に届く。それすら理解できていない。

「これ家のだよね?」と生活費すら入れないのに請求書を押し付ける。

「うちはケーブルTVです。お店でしょ?プロバイダーがどこかも知らずよくWEBショップなんか運営してましたね」

わたしの嫌味ですら、自己愛の彼からしたら細かなことなんか気にしないおっきな俺。

 

そう。自称おっきなすげぇ俺は自分の城を失ったことすら"人や時代のせい"に脳内変換出来る幸せな人間だったのだ。